手ブレですが、「プルネール」のフォント、どこかで見たことありませんか?
博多大丸にあった「ベルボアーズ」のロゴのフォントと一緒と思う方いたら嬉しいです。
実際一緒でした。
あとでその旨を追記します。
天神名物のガーリックパンを置いている店。
博多大丸でも大人気でしたよね。
比較的朝早い時間でもこのようなラインナップ。
ここから天神大牟田線、高速バスターミナルを利用する際には便利です。
定番クリームパン。
子供も好きそうな外にわざと出ているクリーム。
いいですよね。
ビーフと野菜のカレーパン。
野菜が溶け込んでいるのでそんなに辛くはないです。
ちょっとスパイシーかも・・・私がそう感じやすいのかもしれません。
くるみパンはふっくら。
素朴な味です。
サンドウィッチやバーガーなども充実しています。
フィッシュのタルタルは美味しいですよ。
フライもサクサクです。そして野菜も一杯。
おまけに結構お手頃。
最初の話題に戻ります。
産経新聞の【九州の礎を築いた群像】シリーズを読んでいただければわかります。
一部引用
パン業界では、多少高くても、本来のおいしさが実感できる「焼きたて」に注目が集まった。工場での大量生産から、電気を使った焼き窯を備えた直営店へ。広島の地場企業、タカキベーカリーが始めた「アンデルセン」が草分けだった。
「同じ地場の企業。われわれもやろう」
リョーユーパンの前身、糧友グループも直営店に乗り出した。社員を欧州に送り、店づくりを研究した。44年12月、第1号として、福岡市内にマルメ荒江店を開いた。
マルメは、スウェーデンの美しい古都の名だ。高級店を目指した。45年3月には、より低価格のリスドォル春日原店を開店した。
焼きたてパンの店を、スーパーが求めるようになった。香りを立てて窯出しされるパンは、スーパーに客と活気をもたらすからだ。
糧友グループは、こうした小売り側の要望に応じた。工場で製造する「袋パン」を、そのスーパーの商品棚に置いてもらう効果もあった。
中島が入社した昭和61年以降も、直営店は年を追って増えた。店舗ブランドも「プルネール」「ベルボアーズ」と多様化した。
だがバブル崩壊後、直営店事業は、小売業の不振と再編の大波を被った。
× × ×
中島は平成10年ごろ、大丸福岡天神店(福岡市中央区)に入る店舗を任された。
リョーユーパンの直営店を牽引(けんいん)する存在だった。月の売り上げは平均3千万~3500万円、4千万円に達したこともあった。常に客で混雑し、7台のレジがフル稼働した。
店長の中島も、従業員も充実感があった。
この記事読んで初めて、ベルボアーズもプルネールもリョーユーパンだったと知りました。
博多大丸に入っていたものとほぼ同じスタイルだと思います、ここ。
プルネール 天神店
中央区天神2丁目11−3 ソラリアステージ専門店街 レガネット天神 B1F
※中洲にある店舗は中洲らしく、昼過ぎから営業で、深夜までやっています。
プルネール中洲店
博多区中洲3丁目2−5
ホテルリソルトリニティ博多の通りを真っ直ぐ進めばわかります。
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